なおさらに懐かしの
つまのひとりごと
(97年1月〜4月)

 


くどいですが、このページには一切TARAのコントロールがなされていません。(TARA、語る)


4月8日

明日以降おっとの都合により、HPの更新が出来ない。こちらは最近になって、雷雨状態が夕方から夜半にかけて続いている。早く雨季が明けないかなぁ。乾季になると洗濯物がスッキリ、シッカリ乾いて気持ちいい!。七難隠すと言われた色白のつまの面影も今はもうない・・。弟曰く「七難隠せた色白の時ですら、難が隠しきれへんかったのに、今では難があふれてる」らしい・・トホホ。でも、色黒になってもいいから、乾季、はよこい(早く来て!)

(私用)伝言:和歌ちゃん、HP見てくれてありがとう。私はもちろんのこと、おっとも感謝感激の涙で洪水状態です。私、アドレス連絡してたかなぁ?とボケています。そうでないと、こんなちっぽけなHP見ぃひんよねぇ〜。(ちょっとひがみっぽいたらつま)お返事したいのですが、和歌ちゃんのアドレス書いてなかったで。また、連絡して下さいまし。では、和歌ちゃんまたね。☆彡

では皆さん、次回の更新楽しみにしていて下さい。(誰が楽しみに待っとんのや〜。←ひとり突っ込み)


3月30日

「HPの更新・・って何?」というくらい更新をしていない・・・。もう3月末、こちらではいよいよ雨季が終わり、乾季が始まっちゃおうかなぁという季節の変わりめになっている。うう・・。3月8日から15日迄、つま弟ファミリーが遊びに来ていたので更新できず、翌週は(前週)久しぶりにしっかり家事をしたおかげで疲れちゃったぁ&ジャカルタでは近年で最大級の地震が起こってびっくりしたなぁで更新できず、今週は季節の変わりめの為暑くって嫌になちゃうぅという、早い話更新する気が全くなかったのである。

弟達をバリ島&ジャカルタ案内した1週間はさすがにこたえた。(←疲れた)バリ島の空港で待ち合わて、翌朝ゴルフをするその敷地内にあるコテージに泊まった。空港から2時間弱、ミニバンに揺られて到着したのが夜の12時を回っていた。が、つまは初めて天の川(ミルキーウェイってやつ)を見てすっかり感動の嵐にビュンビュン吹かれていた。実際には風が強くて、ものすごく寒くセーターくれぇという気候であった。、弟夫婦とおっとは軽やかにグリーンへ、つまと姪っ子(6歳)は軽やかにコテージへと別れた。それからつまは、姪のお友達になったり(折り紙、話し相手)、カメラマンになったり(もちろん姪っ子を撮影)、お手伝いさんになったり(散歩、朝寝)とフルパワーの子供の面倒を見ていた。ゴルフ後、ヌサドゥアのホテルへ移動し、日が暮れるまでプールで遊ぶ姪の友達やカメラマンになっていた。この時メインお友達役はおっとである。(弟夫婦は、姪にとってあくまでも父と母であり、お友達にはならない。従ってお友達になるのは、おっと又はたらつまのみ)翌日も朝からプール&ビーチでお友達&カメラマン生活は続いた。ジャカルタに戻る時、姪が「あ〜あ、バリはええわ(←良いわ)。ジャカルタに行きたくないな・・」とつぶやいたのであった。『おそるべしバリ島、こんなチビまでも虜にするなんてぇ!!』

ジャカルタでは、お土産を買ったり、大型ショッピングモールへ行ったり、観光したり、マンションのプールに入ったりと忙しく動いた。(実際我々を運んだのは、ムルちゃんである)15日の朝も3人でゴルフに行き(←少し悔しく思っているたらつま)姪とお留守番モードであった。夜、皆で中華料理を食べていてフカヒレスープを飲んでいた時、弟夫婦が気を遣って「おいしいなぁスープ」と言ったら「お母さんが作ってくれる卵のスープの方がおいしい」と一言。『さすが我が姪、歯に絹きせぬ発言』と頼もしく思ったのはいうまでもない。久しぶりに会った姪は少しずつ人間らしくなり(昔、猿だったのか?)つまが話せない標準語と大阪弁を上手に使い分け(大阪弁は話せます!)楽しませてもらった1週間だった。この1週間を凝縮する言葉は『子供は正直』この一言に尽きる!!と思うたらつまである。

番外編:おにいちゃんとシー

『お兄ちゃん』とは言うまでもなくおっとのこと、ここでは姪のことを『シー』とする。正しい日本語なら間違いなく『おじさん』である。(大阪では『おっちゃん』『おっさん』とも言う。)何故お兄ちゃんかと言うと、たらつまは、姪がまだ乳幼児の頃から『お姉ちゃん』と脳みその隅から隅まで刷り込んだからである。(刷り込みってこわいっ!)従って、お姉ちゃんといつも一緒の人はお兄ちゃんなのである。(彼女はこの嘘にいつ気付くのか)彼女は、(彼女の)父と曾爺ちゃん以外の男性が恐かった。お兄ちゃんは彼女が4歳を過ぎるまで無視され続けた。このつまでさえ、おっとの姿がとても可哀相に思えたくらいだから、相当陰湿ないじめである。でも、お兄ちゃんは負けなかった。彼女がセーラームーンを気に入っていると知れば、土曜日の夜はセーラームーンを見て、名前、容姿、必殺技等を健気に覚えたりした。(しかし現在彼女は、新キューティーハニー、るろうに剣心、あずきちゃんがお気に入りのようである。さすがにお兄ちゃんも、ジャカルタではそれらのTVの話を覚えることは出来ない・・・)なのに、彼女は一向に心を開かない。だが神様は、お兄ちゃんの健気さを見捨てなかった。2人の心を繋いだもの、それは『鶴』であった。鶴といっても、丹頂鶴ではなく、折り紙の鶴である。『自分より上手に鶴を折るなんて・・。』きっと彼女の心の中で尊敬の二文字が浮かんだ時、頑なだった心の扉が開かれたに違いない。現在に至っても、お兄ちゃんの居るところに折り紙を持ったシー在りの構図は崩れていない。変わったことは、今では彼女の方がはるかにたくさんの折り紙が折れるということである。

もう1つ彼女が『お兄ちゃんすごい』と思ったものがある。それは『インターネット』。彼女はコンピューターに興味があるらしく(子供とは自分ちに無いものは興味を持つ)、お兄ちゃんが会社に言っている間にキーボードのひらがな配列を短時間で覚え、帰ってくるのを心待ちにしていた。お兄ちゃんが恐くなくなった彼女だが、また新しい気持ちとの戦いが始まった。『はじらい』である。ここで笑ってはいけない。6歳でもはじらうのである。お兄ちゃんと遊びたいけど自分では言いにくい、手を繋ぎたいけど待ってる、横に座りたいけどできない、とまるで初恋をした少女が、彼とデイトしたいけど自分から言いにくい、手を繋ぎたいけど繋いでくれるのを待ってる、ぴったり寄り添いたいけどできないと悩んでいる姿とダブってくるのである。(しかし前行のような女が昨今いるのか?である)しかし彼女は『しなを作る』『とっておきの笑顔を見せる』『床にのの字を書いてみせる』等、6歳とは思えない荒業で迫ってくるのである。(ほんまか!)彼女の毒牙(!?)にかかったお兄ちゃんは、延々インターネットの操作を教えることになる。こんなに尽くしているお兄ちゃんだが、『TBCのナオミ・キャンベルのCM』や義妹(彼女の母)がよそ様から「シーちゃんって本当に可愛いわね」「いえいえ、そんなことありませんよ」という会話を振り付きで真似るのは、見せてもらえずじまいである。ちなみにつまは、何10回と見せていただいた。(もうええ(←もう十分)と何度思ったことか・・)この二人は、すれ違いを繰り返すドラマの恋人のような、見てる者が「ええい、じれったいな」と思う関係かもしれない。一生パラレルな二人だと笑っちゃうなと思うたらつまである。

番外編U:ご機嫌シー

ご機嫌な時の彼女は、走る、走る、走る。そして唄う、唄う、唄う火曜日のサザエさんの歌をフルコーラスで。(♪ま〜どを開けましょルルル♪)

番外編V:ムルちゃん(運転手さん)

一番疲れたのは彼です。絶対です。姪はご機嫌になると気分よくサザエさんを唄うし、運転席と助手席の間に顔を出していて、後ろを確認しようとしたムルちゃんを『ひょえ〜』と驚かせた。ただ、姪が車を降りるときに自発的に『テリマカシー』と言ったのには、彼も驚きながら、たらつまにも見せたことのないような満面の笑顔を返していた。ちぇっ!『憎し!シー』である。

では、今回はこのへんで。地震のことまで書けなかった。


3月3日

今日は雛祭りです。つまは幼少の頃、雛人形を持っていなかった。←いきなり唐突である。同級生で七段飾りを持っている子の家に皆で見せてもらったりした。家の中が七段飾りで埋まっている所もあって子供心に「どうやって寝るんやろうか?」と不思議に思ったりしていた。最近になって、つま母が旅行先のお土産に水引で作ったお雛とめ雛をプレゼントしてくれた。こちらにも持ってきて飾っている。たらつまお気に入りの品である。つま姪の初節句の時はまだつま父が生きていて「初孫の初節句にお雛ケーキも買う」と張り切っていた。つまも無性に買って欲しくなり「わたしも欲しい!!こうて(買って)お雛ケーキ」とせがんで父からの最初で最後のお雛ケーキを買ってもらった。その半年後には父は他界してしまった。つまにとっては、忘れられないお雛ケーキの思い出である。

先日、首相官邸のホームページを見ていて、首相の肉声が流れたときはびっくりした。ご意見欄に「首相はどのメーカーのポマード?をお使いで?」と書きたかったが余りにも失礼なので辞めた。「でもきっと傍にいるとにおうんやろなぁ」としつこく思っているつまである。

突然つまの苦手コーナー∴四文字熟語

『民割分営(みんかつぶんえい)』本人は、分割民営(ぶんかつみんえい)のつもり。次はちと違うが『ちき物い球紀行(ちきものいきゅうきこう)』本人は生き物地球紀行(いきものちきゅうきこう)のつもり。こんな調子だからおっとと喧嘩をしても四文字熟語でぐ〜の音もでないたらつまである。今でもこうだから、呆けてもおっとには『いつもと同じ』に見えて判断出来ないのではないかと心配である。だからたらつまは、杖を振り回しながら町内をチェックして回る元気ばあさんを目指している。今日は、このへんで(^_^)/~~☆彡☆彡☆彡


2月27日

「おっとぉ〜HELP MEぃ〜」月末のつまの叫びである。つまは一応家計簿をつけているが、只つけているだけなので毎月末この様な叫び声が発せられる。要するに学習能力が欠落しているのである。「京大霊長類研究所の『アイちゃん』(チンパンジー)ですら学習能力があるのに・・」とおっとは毎月末繰り返される有り様に悲し気につぶやくのだった。しかしつまは、そんなおっとの心の内を知ってか知らずかまた「おっとぉ〜HELP MEぃ〜」と相変わらず叫ぶのであった。

先日つまはムルちゃん(我が家のドライバーさん)と市内を走行中、パトカーに先導された日本大使館の大使の車を発見!!と思い「前から走ってくる車は日本の大使の車やで」と言ったところ、彼は静かに「違うよ」と一言。「え〜だって4○番の01やで」とめげずに返すと「日本大使館のナンバーは4×番であの車は48番の01」とご丁寧に教えていただいた。つまの目には『4×番の01』に見えていた。余りの大ボケに恥ずかしくなり「あの車はパサラヤ(国営デパート)に行くのかなぁ」と話を変えると「たぶん」とそっけない返事が返ってきた。いつも冷静さを失わないムルちゃん、すごいぞ!!ということで、休みます。では(^_^)/~~☆彡☆彡☆彡


2月22日

何と、今日は”222”で”ニャン!ニャン!ニャン!”と猫好きの方にはたまらない日なのねーと打ちながら思った。(以前どこかで聞いたフレーズ)たらつまは猫が大好き!つま母には、「あんたの電話はいつも、ももとさくら(実家の猫)のことばかり・・」と呆れられているのである。ちなみに、つまの友人に「にゃん」という女性もいる。「にゃん」おめでとー☆(全く関係ない・・・トホホ)

今週は、おっとが出張に行っていたので、晩御飯も手抜き(いつものこと!と非難の声が・・)ができた。日本人会主催の奥様方の「趣味の作品展」なるものがあり拝見させていただく。とても、趣味でころではない。玄人はだしの作品が多くあり、毎回驚くのである。(年1回開催) いつも「日本人って器用やよねぇ」とすっかり自分が日本人であることを忘れた発言をするのである。本当にすごおいのである。

以前このHPに、ムルヨノさん(運転手)の写真を掲載したが、実はあの時デジカメと普通のカメラで撮影した。写真が出来たので、ムルちゃんに「はいこの前の写真!」と渡したら、「Oh−ミセス、テリマカシー(ありがとう)」と、とても喜んで封筒から出して見ていた。そして、封筒の中をしきりにがさごそ探しているので、どうしたのかと思っていたら、「これ1枚だけ・・?」と控えめに尋ねたのである。つまは「もっと欲しいの?」と聞くと、「ううん」と言い、また「1枚だけ・・?」と言うのである。きっとムルちゃんは「あの時何枚も撮ったやないかー」と思っていたに違いない。なのにつまは元気よく「そう、これだけやねん!!」と答えたのであった。可哀相なムルちゃん、いつも想像外の行動と発言をするニョニャ(奥さん)の面倒を見なきゃならないなんてぇぇ。(分かっているなら直しなさいと教育的指導が飛ぶ)教訓 : たらつまはどこに居てもたらつまである。では、また (^_^)/~~☆彡


2月15日

久々の更新である。

おっとも書いているように、バリ島に行った。今日は、つまの愛らしい??まなこで見た「おっとのバリ島奮戦記」を書こうと思う。

2月8日朝からウブド(芸術の村らしい)を回り、クタ&レギャン地域を話の種にと言うことでランチもかねて立ち寄ることにした。そこでおっとは、大阪人いや堺商人魂をつまに披露したのである。

つまは燭台が欲しくていろいろ回ったが、これと言うのがなく「もういいよ」と珍しく聞き分けよい子ちゃんになったその時、おっとは、1軒のお店の前に立ち、お姉ちゃんと大声で交渉し始めた。もちろん交渉と言っても燭台の値段である。「これいくら」「えっ!2万ルピア。5千ルピアにならへんかなぁ。」「1万7千?!。5千ルピア。お姉ちゃん、めっちゃかわいいなぁ」「ほんで、これなんぼ?」等と言っているうちに、奥から女主人現れる。とまた、「お姉様、5千ルピアにならへんかなぁ」「1万!」「6千ルピアやったら、即金で買うで」「えっ!ほんま6千ルピアでええの。よし買った」「お姉さん、みんなにこの店のこと宣伝するわ」とおっとは流暢な?インドネシア語で値切り倒し、店中の店員と「テリマカシー」と言いつつ、腰が90度になるほど頭を下げ、握手を交わしていた。その姿は、新入社員研修の正しい挨拶の仕方のようであった。まるで、平和の鳥である。(よく夜店に売っていたバタンと体が倒れて水を飲むという代物である)おっとは店を出るなり、「どや!たらうまいやろー」と一人、堺の商人(あきんど)エクスタシーに酔いしれていた。

夕方、ケチャダンスを観劇した。つまは、いつおっとがトランス状態に陥り、「ケチャケチャ」と言いながら踊り手さんの輪に乱入するかと、そればかり気になって、ついつい横目でおっとチェックをしていた。おっとは以前から、「絶対ケチャダンスをみたい」と凄いのめり込み様だったからである。実際につまが、「今出てきたのが、金色の鹿やで」とか「あっちが男の人役や」と言うのを「ほんまや。言ってもらわへんかったら分からんとこやった」というくらい、ひたすら「ケチャケチャ」にのめり込んでいた。その場は、トランス状態に陥ることもなく、無事にホテルにたどり着いたが、それからが彼にとっての本番であった。エレベータの中、着替えの途中、歩行中と、彼の気分の高揚と共に「ケチャケチャ」というハーモニーと、なんだか分からないダンスが、当初つまを辛くさせたのである。「しかし、こんなにダンスが見れて嬉しかったとは・・」横で楽しそうに悦に入っているおっとを見ながら、何かとても善いことをした気分になって、つまも踊りたいような幸せな気分になった。←お気楽、極楽、能天気な夫婦の見本。

バリやその他の観光地に行かれたときは、ちゃんとその場でお釣をチェックしましょう!!危うくつまもボラれるところでした。

今日は、このへんで。ではおやすみなさい。


2月2日

今回はつまにしては珍しく前回更新から早々の登場である。おっとの自己紹介のページをご覧になられたでしょうか?突然ですが問題です。”どっちがつまの愛するおっとでしょう?”ちなみに、つまとおっとがつまのインドネシア語の先生の結婚式に出席したとき、つまの友人はつまの後ろにたっていたおっとを見て「なー、たらちゃんの後ろにインドネシア人の男の人がピタッと立ってるでぇ」と小声で親切にもつまに耳打ちしてくれたのであった。そう、その人こそつまの愛するおっとであったということを、友人はつまの口から聞かされるまで知る由もなかったのである。しかし、こんなことは1度や2度ではないという事実をつまはこの場を借りて読み手の皆さんに”そっと”告白しておくことにする・・・。ところで、写真ですが、私たちの運転手さんが初登場!!ムルヨノさんです。どうぞよろしく!

おっととつまは、運転手さんにはちょっと苦労したので、ムルヨノさんのプロに徹した仕事ぶりに感謝感謝の日々を過ごしているのである。本当に、彼が私たちの運転手さんになってくれてから、ジャカルタ生活がより一層楽しくなったように感じている。運転中の彼は、眉間に深いしわを寄せ、周囲に鋭い視線を飛ばしながら運転をする。礼儀知らずの車には鉄拳を食らわし、お年寄り、子供、女性には広い心で接している、なんだかとても真摯な彼なのである。(鉄拳を食らわすことが真摯なのか?)(けんかはむちゃくちゃ強そう・・)つまと彼の日常はというと、例えばつまと友人のアイさんがそれぞれの車で同じ場所から次の場所へ移動するとする。彼は(ジャカルタ市内の道路と混雑を熟知している)いつも、アイさんの車より10分以上早く目的地に着いてしまう。そんなことが度重なったある日、ついに彼はアイさんの運転手がトロトロ着いた瞬間、運転席に歩み寄り、「何、トロトロしとんじゃ!うちのニョニャ(奥様のこと、ここではつま)を何時間待たせたら気が済むんじゃ!なんであの時俺の後ろ着いてこんと左に曲がったんじゃ!」みたいなことを今にも胸座つかみそうな勢いでまくしたてた。(もちろんインドネシア語。ここでは、臨場感を出すためにつまの大阪弁の訳になっている。)あまりの迫力につまとアイさんは知らん顔をしてお昼ご飯を食べに行ったのである。”きっと彼はけんか強い”とつまの胸に深く刻み込まれたエピソードの1つである。友人が皆「うちの運転手をムルヨノさんのところに修行に出したいわ」と言ってもらえる彼なのである。(そう彼は人気者)そんな時つまはいつも「修行代は高いで!」と、まるで時代劇に出てくる下町の強欲なオヨシばあさん(別にオヨシでなくてもオハナでもオカメでもいい)のようになってしまうのである。ムルヨノさんの話はたくさんあるが、余り熱っぽく書くとおっとが”すねちゃう”と困るので今日はこのへんで。


1月30日

またもや、前回更新してから時間が経ってしまった。つまは前回「風邪を引いてしまった」と書いたが、病院にいって薬を飲んでいるにもかかわらずひどくなり、もう一度行って先生に尋ねてみたら、なんと”ちょっと気管支炎ね”等といわれてしまい、現在もまだ咳大魔王と交戦中なのであった。つまは、いつも会社指定のとあるAクリニックに通っているのだが、最近日本語が話せる内科の先生が診察されるようになり、つまの通院は飛躍的な前進を遂げたのである。この先生をつまは”Drポー”と名づけ、心の支えにしているのである。

Drポーは最初の診察のときいろいろ体の具合について尋ねたのだが、その中に「子供はいますか?」「いいえ」「妊娠の可能性は?」「ありません」などという会話も含まれていた。余りにつまが断言したので「では、独身ですか?」などと間の抜けた質問をかっとばしてくれたのである。Drポーのいうとおりにしていたのになかなか状況は好転せず、つまは再度訪問したのであるが、その時もまたDrポーは、「子供はいますか?」{いいえまだです」「では、子供は何人?」「Saya belum punya anak (まだ子供おれへんねん)」とまたもや大ホームランをかっ飛ばした。そして、初診時の自分の診察ミスもすっかり忘れて前述にあるように”ちょっと気管支炎ね”とのたまったのであった。こんなDrポーだが、日本語で診察してもらえるという、つまにとってなくてはならないDrなのである。

夕食に食べたいわしの小骨が喉にささっているようで、咳がひどくなっているので、きょうはこのへんで。

みなさまも、A香港型インフルエンザといわしの小骨と日本語が上手なDrポーには御用心を。


1月21日

なんと前回更新してから10日も経ってしまった。ひとりごとファンの方には申し訳なく思ったりしているのであった。
だけど、「ひとりごとファンなんているの??」と自問自答しているつま。
つまは「隊長不良」と変換をしたPCちゃんを所有しているあなたが羨ましい。(こそっと個人向けメッセージ←どこがこそっとやー)
つまは、こちらに来て初めて風邪を引いてしまって、咳大魔王にのっとられているのであった。これは、辛い。つまは、余り丈夫な方ではないのだが、ジャカルタでは、概ね健康に過ごしていたのにぃ。

話はとんで、1月17日、おっとは日本で、つまはインドネシアで迎えたのだが、よくまぁ二人ともあの地震の時にほとんど無傷で無事だったことよと再度実感したのであった。2年前の地震当日は、2人共、神戸市東灘区の家で寝ていたのだが、つまは5時40分頃に目が覚めて、ウトウトしてたら、「ゴォー」という音がして、「何かいな?」と思っているうちに少し揺れて「たらちゃん、地震や」「大丈夫、これくら(い)」でものすごい揺れというか、上下左右にシェイクされて、食器棚が「ガッシャーン!!」と音をたてたのだけがはっきり聞こえた。つまは余りのことに「これは竜巻や」と思ってなんかわからんけど「うぉーうぉー」と叫んでた。ああいう時に「きゃー!」等といえる人は凄いぞ。地震がおさまった後は「しーん」としていて、すぐその後に「誰かー 救急車呼んでー 人が埋まってますー」という絶叫がうらの家から聞こえて・・・。私たちが住んでいた町は震度7の地区で、町別死者数が、2番目に多かったと後日新聞に載っていた。つまは今でも低いエンジン音なんかは、びくっとしたりする。おっととつまは紙一重で生かされたのである。不幸にして、亡くなられた方、大切な人を亡くされた方々には、なにも言うことができないけれど、つまはあの日を一生涯忘れないし、「生かされた自分」を大切にしたいと思っている。インドネシアからご冥福をお祈り申し上げます。


1月11日

何と、今日は”111”で”ワン!ワン!ワン!”と犬好きの方にはたまらない月日なのねーと打ちながら思った。

前回の独り言からのつまの日常は、(普段通りに戻り)お稽古事始めの1週間であった。

月曜日・・奥様方5名と先生1名でインドネシア語の会話(なんか、だべってる方が多い)
火曜日・・生け花。先生はインドネシアの方と結婚された日本女性(毎回先生のご厚意でインドネシア料理を食べさせていただいている)
金曜日・・パッチワーク(つまは、裁縫が苦手なので、”パッチワークは人生修行の場”として日夜?苦行に取り組む修行僧のようである)

残りは、友人と遊んだり、ゴルフの練習に行ったりで、日本に居る時からは考えられないくらい遊び呆けている毎日である。これを読まれた方は、「いい生活してるのね」等と思ってはいけない。運転手さんなしではどこにも行けないという生活状況で(つまは楽でいいなーと思う)自分の自由がないと嘆いている奥様もいる(つまはそうかなー結構自由やんかーと思う)
インドネシアではメイドさんを使うことが極当たり前なので、料理専門と掃除洗濯アイロン掛け専門のメイドさんを置くことが多い。でも我が家では、ずっとつまの仕事のままである。ちょっぴり周りのニョニャ(奥さん)達が羨ましく思えることもある。(ちょっぴりだけ・・・)
先日、うちのマンションに子猫がいた。その子猫は寒かったらしく、しゃがんでいたつまのスカートの中に入ったり、オットの鞄を風除けにしたりしていた。とってもかわいいねこちゃんで、つまはオットに「連れてかえろか」と何度も”このねこちゃんを飼いたい”ミサイルを発射したのだが、全て敵地に届く前に打ち落とされてしまった。つまはそのねこちゃんのことがずっと気になって仕方がない。だって、去年の2月に死んでしまった実家の愛猫の一人”やよいちゃん”の小さい時によく似ていたからである。「神様が遣わして下さったのだわ!!」等と仏教徒のつまは思っているのであった。嗚呼、こんな時メイドさんが我が家にもいれば、旅行の時とかも安心して飼えるのに...。

突然であるが、つまの不思議コーナーを新設する。(エッヘン!)
こないだ掃除しててふと思ったのだが、どうして”おトイレ””お便所””お風呂””お台所”みたいに尊敬や丁寧なんかしなくていいやんかと思う物に”御”が付くんだろう?よく「お台所見せてもらっていいですか?」なんて言われたりするけど・・・不思議やな。

そろそろつまは夕飯の用意をしなくちゃ!!


今日は、1月4日。テリマカシーN路さん、がんばりまーす!&おっと’ず弟様へ皆々様にはだまっててー。

続きなのですが、30日は朝も早よから掃除洗濯、お節と残りの買い出しに走り回っておりました。うっかりオットに「正月何食べたい?」等と聞いたがために「しゅうまいとコロッケ」と大変ありがたいお返事を頂戴したので、それも追加でせっせと作ったりしてました。おかげで、足はむくむし(ずっとやろーが・・・)手は荒れるし(顔もやろーが)久しぶりに長時間台所に立ってしまった。この珍しいつまのがんばりは大晦日、元旦のゴルフがあるからこそできたのであった。それでないと、誰がこんな邪魔くさいことするかいなー!!

つまはクラブを握って数ヶ月というスコアーなぞつけれない迷惑っ子ちゃん。バンカーを「お砂場」、ウッドのクラブを「コブラちゃん」と勝手に呼び、珍しくボールが”ポーン”と飛ぶと踊ってしまい、キャディーに笑われている始末。がつまはご機嫌な様子。「ここやから、コースにでれるんやなー」とインドネシアに来れた幸せを変なところで実感しているのであった。つまの毎日はこんな感じだから(← 一人でも楽しめる安上がりな奴)オットは大変かも?しれない・・。

大晦日といえば紅白!!96年はこちらでも放送されていて、つまは大喜び!!「吾郎ちゃんがみれるー」と一人はしゃいでおった。オットは気がつくと”さぶちゃん”になりきって熱唱しておりました。変なめ・お・と。

元旦はお雑煮とお節をたべて、重い体を引きずってゴルフへ行ったのであった。こうして、現在に至るわけであります。今のつまの望みは「洗濯もの早よ乾いてー」なのであった。 おわり。


今日は、1月2日。TARAとつまはインドネシアで2回目のお正月を迎えました。つまの年末年始をかこうかなーと思ったので書きます。29日は、予定ではお節作りを始めるはずだったのに、前日中華を食べたら当たってしまって、前日から29日中下痢と嘔吐で苦しんだ。つまはその店が気に入ってるのだが、どうも店がつまを気に入ってないらしく、毎回当たっている。なのに他人様からお誘いを受けると断れずに辛い思いをしているのである。げーげーと吐きながら、「ももちゃん、さくちゃん、やよちゃんも辛そうに吐いとった」とふと実家の愛猫のことを懐かしく思い出す、ちょっぴり余裕のあるつまであった。
お節作りの初っ端から出遅れたつまは、以後えらく忙しい年末年始を送ることになる。一度に書くとネタ切れになるので、今日はこのへんで・・・
つまは、本来の家事労働に戻らなあかん、まだ食器洗いが済んでないと、ふと気づくのであった。(つまは、食器洗いが大好きだが、たまに「邪魔くさいなー」と尾蒙古ともある。すごい変換なのでそのままにしとこーっと)


Music 桜夜 by Mr. Shinoda


TARAのプロフィール ジャカルタ紹介 食生活 ジャカルタに住む ジャカルタは今
TARAの日記 つまのひとりごと らくがき帳 ひぶらんひぶらん 『42度』
びっくり! ホテルゴルフ場案内 もっとインドネシア TARAのお好みリンク FAQ


ホームへ戻る


Copyright (C) 1997 TARA. All rights reserved.
All comments are welcome to
TARA